December 17, 2012

【出掛】30歳

2012年12月15日を以て
遂に30歳の大台に乗りました。
(無事にノれているか、どうかは別として)

ノリは悪くなったかな??とか思っていると
嫁はんがなんと、温泉に連れて行ってくれる事に。
普段、仕事で急がしいはずなのにありがたいですね。
自分では、年齢の事や誕生日の事なんて
どうでもいいと思っているのですが
祝ってもらう事で、この日の重みが出てきております。

吉祥寺からレンタカーを借りて(そろそろマイカーが欲しいですね。。)
御殿場を目指します。
オールグリーンと言える位、スムーズなトラフィックでした。
あっという間に、箱根仙石原へ。



若干ナーバスな旅館の方に案内されて部屋へつく也すぐ温泉へ。
旅館のお湯は濁っていて、強い硫黄の匂いがします。
その成分の御蔭か、もっていったビールの酔いのせいなのか
寒い日にもかかわらず
その後暫くは、体から熱が冷めませんでした。

貧乏性か、かなり長い時間風呂に使って
成分を吸収した気分。

その後、飯を食べ
どういう訳か、死んだように眠ってしまいました。

強硬な眠りが体をつかんで放さないので
素直に従う事に。

せっかくの誕生日なのに申し訳ないとちょっと思っています。

意外な人物からのありがたい連絡や
フェイスブックアカウントへメッセージを送ってくれた人から
暖かいメールも頂きました。

SNSが主流になってきている今
メールがどういう訳か、とても距離が近いものとして感じれます。
一昔前の、御手紙のようなモノでしょうか???

幸か不幸か、メールに逆価値を持たせる事になった
安いく軽いSNSのつながりから、自ら消えたのだなあと思いを馳せながら
持っていった最後のビールを飲みながらまた休みました。

30になって一日目は当ても無く芦ノ湖へ。
湖近くの岡の上にある、喫茶佐藤という隠れ家的ではなく隠れ家へ。
ナビに正確な案内は出ずに、直接店主に電話してなんとか行けました。

カフェの庭にはたくさんの鳥がやってきます。
モモタロのキジまでも。
マスターとのんびり話ながらいい感じでチルしていると来客が。

まさかの、わいわい系の女性が3人。どうやらマスターと知り合いの様
気がつくと鳥はどこかへ行ってしまい、僕らも潮時かと身を引きます。
マスターは若干分が悪そうにしていましたが
店のクオリティを保つ為には、僕らがそのように振る舞う方が良いと思いました。

カフェから少し行ったところに箱根の旧街道なる坂道が。
芦ノ湖までいきなり下りから始まる登山の様でした。

カルガモが沢山浮いている湖は、船のモーターで不自然に波打ってました。
奇跡的に気候も天気もよく暫くチルしました。
川魚のフライとそばを昼飯で食って御殿場のアウトレットへ。

途中の道中で
大きく富士山が移りました。

九州出身の僕としては
富士山という存在には妙な遠さというプレミアム感がつきまといます。
1時間程で御殿場へ。。

御殿場のアウトレットは恐ろしく、虫酸が走る程混雑していて
駐車場はフル、会場から1K程離れたところにある置き場から
バスで移動するはめになりそうでした。

以前、同じようにバスにていった時に
待ち時間と混雑で腹が冷えて思いっきりオイチチチしてしまったので
今回はというか一生この御殿場アウトレットは控える事に。

大渋滞の末なんとか吉祥寺に戻ってきて
お土産で買った温泉のもとを入れて風呂に入りました。



無事に30になる日を30になる年に縁がった伴侶とともに過ごせた事。
大変忘れがたい大きな思い出になった事を
感謝したいと思います。

December 11, 2012

【日常】facebook退会

Facebook退会しました。
理由は、僕にあわんかったということ。

妙に付き合わされている感じ
メッセージがいる既読になったかわかるようになった。
ツイッターとそんなに変わらいと感じるようになった
本人の意思とは関係なく、見られたくないものを晒す。

ルーツは学内SNSだったようで
そもそもそんな200も300も友人を作るのを想定してなかったのではと思います。

こんな癖のある人当たりのわるい僕でも友達が100人出来きました。
Facebookのなかは 吹けば消えるようなとても軽いものなので
ほっとこうかとも思いましたが
大切な人に対して失礼が出てくる可能性が出てきてしまいました。
なので永遠に消します。
バイナラララバイ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

【日常】地元でのお披露目会

地元での結婚式
自分らのプロデュースで終わった東郷神社での挙式からはや1ヶ月。
地元福岡でのお披露目パーティも終えることが出来ました。

東郷での準備におわれていて、こっちの準備は殆ど母親任せになってしまって
申し訳ないと思う反面言葉にならないくらいの感謝をしています。

東郷と同様にきてくれた地元の友達にも大きな感謝をしています。
親父との縁が太かった岡垣のぶどうの木で行いました。
当然ですが、式場の人はみな親切で料理もとても美味しくて最高でした。
お披露目会だと聞いていたはずが、ちょっっとした披露宴です。

夫婦鯛の舟盛り、霜降りのステーキ、河豚の刺身。
高級料理ばかり食べすぎてこの間の健康診断では10kも太っていました。。

最後に母が、まだ父が生きていた時から続けていた腹話術で激励の言葉をくれました。

父が死んで、それから父が何度か夢に出てきて
朝の目覚めの度に死んだのが信じられない位の存在感を残していきました。

母の僕ら新しい家族に対しての激励は父からの言葉でもあります。
それは、常に笑顔の絶えない家庭をつくれというものでした。
笑顔は単純でシンプルです。

俺のバカさは親が一番知っているのでしょう。
どんだけ講釈タレになってもバカなんですね。
そんなバカは、高望みをせずシンプルに誰でもできる笑顔を忘れずくらせ。
そしたら、己の父母が作ったような似た者夫婦になれるという意味でしょうか??  

前日の父の法事から妻の両親にも福岡INしてもらっていた妻の
両親は一足先に東京に戻られました。
のんびりされたなら幸いです。

【出掛】屋久島(3)

屋久島最終日。あっという間というか、
そもそも強行だったというか、気がついたら帰る時になっていました。





フェリーの発車時刻まで時間があるので、あたりをぶらぶらします。
到着時と違う乗り場なのでバスで乗り場まで移動します。

途中、よく話しかけてくるおばあちゃんが乗ってきました。
現地の人とのコミュニケーションは空気感が異なり得るものがとても多いいです。

港までの道の途中に屋久島空港があります。
そこから可哀想な婦人と子供が2人乗ってきました。
彼らは宿からの送迎バスが来ないことに腹を立てて、電話で他にもホテルはあるんだとか、田舎はのんびりしていいかげんだとか罵倒音頭でした。

こういう時の東京弁はかなりきつい。。
ささってえぐり取られるくらい冷たいものがあります。
方言の歴史として、ユーモアを挟まない言語の成り立ちだからでしょうか??
其の間子供らはずっとゲーム。。子を持つ親の器でない感じです。
反面教師にしようと思います。
弁当が貰えるとの事で、フェリー乗り場から1Kくらい離れた店まで
歩いて弁当を受け取りにいったり、お土産を買いまくったり、実に楽しい旅でした。
鹿児島市内では幕末の偉人達を訪れて、さつま揚げを食べて東京へ。
何ともいえない監獄の中に戻される感じです。。
それほど、屋久島の自然は
かつて見た事がないほど大きく潤っていました。
凄く感動しましたが
スケジュールに余裕が無かった事が唯一悔やまれます。
また行けば良い事;)

【出掛】屋久島(2)

奇跡の4時起床で準備をして縄文杉に向かいます。
準備ができた頃には、民宿の前にガイドさんが来てくれていました。

屋久島をとても愛す人で、たくさん興味深い内容の話をしてくれました。記憶しようとしましたが、 細かいところは忘れてしまってこのポストを書きながら思い出せればと。

流石の4時起きはハードコアすぎたのか
登山口に行く車の中では爆睡してしまいました。
途中の2組のカポーが今日の登山の一緒に登るメンバーとして乗ってきた以外は全く記憶がないです。
登山口は おびただしい数の人でした。
ゴミや人が増えることでの環境汚染を真っ先に考えてしまうほど多かったです。

その心配は、ストイックなガイドさん達や、わざわざ屋久島で登山をしようとやってきた人たち共通認識だったようで、登山者はすごく緊張感がありました。
富士山のように我らがオアシスがなってんsならないのです。
登山口までは一般車は入れないようにする徹底ぶりでした。

登山が始まるとすぐに僕はかつての記憶を凌駕する大自然を目の当たりにしました。
倒木ご何年も立っている杉の上に着床するシダ植物や、湿原気候で生息する食虫植物の群、太陽の方へ光合成しようと必死に枝を伸ばそうとする木々。
瞬間的に1人になれるならなりたい、それで同化するほど瞑想したい欲求にかられます。

トロッコ道が終わると、本格的な登山道に入ります。
登山道の入り口にはトイレと湧き水がありました。
トイレは消毒を使わずに細菌で分解する様で
臭いは卒倒するほどきつかったですが
本来こういうものだと精神的に理解するとなんてことなくなりました。

湧き水は信じられないくらい澄んだ味でした。
屋久島の水はミネラル分が限りなくゼロに近い軟水で
雑味や腐敗進行もとても遅いそうです。
実際にこの水で飲む焼酎は他の追従を許さないうまさでした。
屋久島は 火山でできた岩で、本来土が滞留できる地盤ではなかったそうで
そのため栄養分の多い土で育った杉の年輪はとても目が細かいそうです。
それが屋久杉の特徴だと言われています。
要は栄養が少ないから育ちが遅いというわけです。

本格的な登山道を登るとまずやってきたのがウィルソン株。
名前の由来や株の中から見上げるとハートに見えるということ以外は記憶に無いです。
いわゆるカポーが楽しむところですね。
株の中にとても綺麗な水たまりがあったのですが、
ガイドさんは飲んではいけないとのこと。
登山道以降トイレがないために
野で用を足す人がいるため水質汚染が少しあるとのことでした。







すでにあたりは、震え上がるほどの自然にかこまれています。
縄文杉までの道中、ランドマーク的にいくつか杉をピックアップしていましたが、
すでにそれらが目立てないほどの大自然です。
もっというと縄文杉まで色褪せるほどの、サラウンディングスですよ。
縄文杉の前で写真を撮りましたが、これは無事に登頂できたという意味合いが強いかもしれません。

下山はあまり記憶に無いです。
見納めかもしれない、夫婦杉に多めにご利益をもらっていった事くらいしか記憶に無いです。

ガイドさんは最後まで親切に、買い物事情の若干不便な屋久島のスーパーによってくれなした。
一期一会になるかもしれませんが一生恩と顔は忘れることはないと思います。

民宿では宿泊者全員での飯です。
埼玉の工務店が社員旅行で来ていて、屋久島の露呈風呂の星が最高なことや
戦時中の特攻隊が失敗して屋久島沖に墜落した時に
ウミガメの卵を食べて飢えをしのいでいたことを聞きました。
ウミガメの永田出身の民宿の笑顔の素敵なおばちゃんも頷いていました。
しかし何でも明るく話してくれます。
家族の不幸や、ドロドロしたものもすべて。

色々スーパーで買ったものがもったいないのですが、
酒も入りあまりの睡魔にまけてしまいました。
もちろん開封したものはすべて食べましたが。

【出掛】屋久島(1)

ずいぶん前のことになりますが、屋久島に行ってきました。
いわるゆ、自然世界遺産というものです。

昔の記録をたどるとどうやら、2年前くらいから島へ行くことを熱望していたようです。
念願かなってついに入島することが出来ました。with たかはしくん

出発の日から朝は五時に起き、羽田から鹿児島へ向かいます。羽田まではモノレールで行ったのですが、おぞましいベンゼンダークグリーンの海と、おびただしい数の再開発予定地を真下に今からここの真逆の未開発の環境に行くんだと胸が踊ります。

羽田から鹿児島空港まではあっという間でした。実家に訪れずに九州に帰ることがなかったにで、何だかさみしい気持ちにもなりました。

鹿児島空港からは、バスで錦江湾は鹿児島港へ。
バスの中では、おそらく福岡から帰ってきたところの女性が2人前に座っていました。
彼女らのノンストップなべシャリが九州の元気でちょっとやかましい風土を感じさせてくれます。

フェリーからは桜島と本土最南端が見えました。
波も低く地下鉄にでも乗っているような気分になります。

2,3時間で屋久島へ。ほんのり雨が降っています。
腹も減ったので事前に予約した民宿へ向かいますが
未開発の島の風景に感動する一方で見たくなかったパチンコ屋の看板も一寸。

民宿のオヤジは九州人の僕でも聞き取るのが困難な程なまってました。
東京生まれのツレのたかはしくんはちょっとした異国感を感じたと思います。
オヤジはの粋な計らいで、タダ飯をいただいてレンタカー屋へ。
個人営業らしく、説明も丁寧で大変助かりました。
一先ず当てもなく島を一周することに。

ウミガメの永田浜を越えると
屋久島の中でも最も未開発(普通の状態では人の住む事が出来ない位の自然のため)の西武林道へ。
屋久島の猿は目を合わせたら、もう終わりとのこと。
途中6,7ひき見た気がします。
次の瞬間視界が開きます。
海です。





東シナ海展望台という、江戸時代まででは日本最南端。
southern most in Japanってやつでがす。
美しかったですね。
潜ることもできるそうですが今回は時間なしなので割愛しました。

温泉や滝色々払拭しながらあっという間に一周です。今思うと2日くらい借りときゃよかったとおもいます。
民宿で飯をいただいて、明日朝4時起床の屋久杉登山に挑みます。

つづく

November 20, 2012

【日常】悩み

悩み多き年頃の僕は、日々悶々と暮らしております。
アホが悩んでると賢く見えるからって
悩んだフリをしている訳ではないですよ。

見えないものに悩んでいるのです。
見えないから悩むのは分かっているのですが。

数え上げればキリがありません。

会えていない友人はどうしているのか??
実家の母、じいちゃんばあちゃんは大丈夫なのか??
業界の未来は明るいのか??
弟はさみしがってないか??しっかりやっているのか??
家庭をどのように作っていこうか??
家は買うのか??
そもそも東京にずっといるのか??
車は??
放射能は大丈夫か??
喰ってる野菜はいいのか??
ペットとか飼えるのか??
じじいになるまで生きれるのか??
なぜ、みんなコミュニケーションを恐れるのか??
なぜ、もっと適当に生きていかないのか??

ざっと挙げてみて
ほとんどが悩みというか心配ですね。

兎に角今は
将来なんかはなんとかなるというオプティミズム的考えで
答えが見えている範囲でのがんばれる事を
一生懸命がんばるだけのようです。

必死に生きるのではなく
とても大きなものに、生かされている事に逆らう事無く生きるのです。
ようわからんわい。。

もう一回HNKの人体第二部でもみようかしら。。

November 13, 2012

【日常】色々と

結婚式も、地元でのお披露目会も無事に終わり
新しいモチベーションが色々と出てきました。

許されるのであれば
世界一周を陸路でのみ(ミャンマー以外)やってみたいとか
生活の拠点をがらっと移してみたいとか
くるまでも買ってみようかとか
まあ、せわしなく20代は仕事をしてきたので
ちょっと位いいのではとか
飴ちゃんのように甘くて全く苦くない事を思ってしまいます。

まあ、無理なのであまり甘い飴ちゃんのような事ばかり考えても
どうしようもありませんね。

そんな事ではなく
もっと将来的に家族と笑い合える
仲間と笑い合える生き方はないかと
色々考える訳です。

今、結婚前の一人暮らしをやっていた時の事を思い返すと
わりかし好き勝手にやっていたと思います。
結婚した今の暮らしは、
そんな何の意義の無い暮らしからすると
数段と楽しんで生活していると思います。

なんというか
インプルーブさせるというのは
極端な変化以外脳は感じないように出来ているようです。

行動する時は
一気にやらねばイケナイいけねーってことです。

October 9, 2012

【日常】結婚式(3)

結婚式に向けてたくさん準備した記録を残したいと思います。

まず、大きなところでは席次票です。

イラストレーター、フォトショップ、スキャナーを駆使してデザインし
和紙を張り合わせて手作りしました。

途中デザインがなかなか決まらず
時間がどんどん過ぎていってイライラ煮詰まりましたが
御蔭で2人納得いくものが出来た気がします。

2番目に升です。

ゲストの名前入りに手作りお土産になります。
これも、デザインして外注しました。
出来も凄く綺麗で、また檜のいい匂いがして
とてもとても満足しています。

プロフィールビデオとエンドロールも手作りです。

エンドロールはコレ用にスタジオで撮影しました。
撮影は香盤もナシのぶっつけ本番。
でも息ぴったし!!!!
流石が我らを実感した日でした:)

引き菓子も僕のわがままで京都のグランマーブル
入れさせてもらいました。
式後にたくさんの人から感想をもらいました。しかも大好評!!!!!
うれしいのなんのです。

やはり僕らとしては手作りTeeでしょう。


夏休みを返上して、たくさん絵を書いてトレースして
tshirts.co.jp
にてプリントしました。

下地の色はall earth color!!全て厳選したつもりです。
披露宴の後に、着てくれている人もいてとても嬉しかったです。

ちなみに、披露宴中の音も全て厳選して選び倒しています。

嫁のディスコ好きな思いが詰まっています。
式は厳粛な雰囲気を180度変えたいという
ゲスト心理をもてあそぶというパーティーマインドがそうさせてしまうようです。

ウェルカムボードも会社の良くしもらっている先輩に書いて頂き
ゲストにメッセージをもらう為の和傘も、浅草に行って
店を練り歩いて買いました。
祭りやってたり店の威勢がよかったりで楽しかったです。

ココに書いているのほんの一部で本当に悔しいのですが
没になったアイデアや、やりたかった事は他にもまだたくさんありました。
ですが、最高に気の合うパートナーと決める事ができて
満足のいく準備が出来たと自負しております。

それも何もかも
僕らを巡り会わせた、みなさんとの縁の御蔭なのでしょう。

【日常】結婚式(2)

披露宴が始まる前に夫婦で式について話しました。
ぶっつけ本番感があったよねとか
無事に終わってよかったとか。

そんな事を行ってる間に披露宴が始まります。
正直、ゲストと距離のある神前式よりも
距離の無くなる披露宴の方が妙に緊張しました。
多分、準備に力を入れたからでしょう。



僕は、式と同じ袴、嫁は色打掛
カッパーとドアが開いて、僕は傘をさす段取りです。
みんなの感想では、僕がずっと緊張していたように見えたそうですが
ただ着物がきつかっただけです。

齢30も近くなると
結婚を経験した友人も多く、客観的に思い出してみては
ゲストもゲスト慣れしているようにも感じました。

決め打ちしたウェルカムスピーチは緊張しました。
決め打ちは良くないですね。
意味の無い緊張をしなくてはいけなくなります。

通常ではここでケーキを切ったりするところを
僕たちは鏡割りを行いました。
急なお願いをした村田に感謝しつつ
手作りした升にお酒をついでもらって、ぐびっと聖酒を飲みました。

乾杯が始まってから、中座までの間
各卓を回るんですが、あんまり覚えていません。

ワイワイガヤガヤあっというまでした。

ここから、洋装になり再入場します。
僕らがはけている間、DVDを流しました。
感動してもらえたのか、再入場の時に涙の人がいたような。
ちょっぴり、嬉しかったです。

嫁さんの余興。
和洋折衷なドレスでセンスでダンスと
この日のノベルティTeeを来た
僕の友人のダンス。
一気にパーティー感が出てきました。

わいわい言っている間に
嫁はんの手紙の時間がやってきました。
準備の時に、「泣くの??」
「うん泣く!!」という段取りを何回やったことか。
本文に入る前に泣いていて少々焦りました。。
内容はすごくすごく、心がこもってあったかかったです。



祝辞では、親族、お世話になった人たち、ゲスト、家族に
感謝して無事になんとか言う事が出来ました。

大船に乗ったつもりになったのか
この時やっと緊張がほぐれてきたような気がします。

ゲストの見送り、庭での撮影が終わり
2次会をやらない事にしていたのでやっと息が抜く事が出来ました。

贅沢にセンチュリータワーとかいうでけーホテルで
死んだように眠りました。
朝飯もうまいし、良いものは良いですね。

これまで、準備に半年以上の時間をかけていました。
要は、常に夫婦で話しながら決めてきました。
もしかしたら、披露宴中がここ数ヶ月で一番会話が少ない時間だったかもしれません。

いやー。
全く終わった実感はないですが
結婚式は良いものです。
本番も、準備も、けんかも全部良い思い出です。

October 7, 2012

【日常】結婚式(1)

遂に、僕のような人間でも結婚してくれるという
奇跡のような人に巡り会う事が出来ました。

先日の、2012年9月29日
東郷神社にて結婚の儀を執り行いました。



集合は昼の3:30
要は、夕方からの式です。

嫁と一緒に会場へ向かう時
前日に搬入できなかった荷物を片手に
いつもと変わらない井の頭線の車内。
不思議と緊張感が消えていきます。

会場に着くと
嫁のメイクが始まります。
相性の問題で直前にチェンジした美容師さんです。
手際も、人間性も場慣れが培ったものだと
一目で分かるようにベテランさんで大変助かりました。

打合せと同じテンションで
ブライズルームに入ってきて
いつもと同じように仕事をする。

何しにきたのか分からなくなるくらい、ナチュラルでした。

僕も、和服with防弾チョッキのようなインナーを着せられて
暇無く庭での撮影になりました。
緊張している訳ではないですが、妙に表情が硬くなってしまいました。
上を見ると、すでに到着しているゲストがちらほらと。

その足で、親族紹介室で両親と対面します。
相手方の親族と一つ同じ部屋で僕らを待っている
両親は緊張していた事でしょう。

衣装で登場した時は、
嫁の両親は、白無垢を来た娘の醸し出す、嫁入りの現実に感激したのではと
その時の写真を手前にして、今では少し感じる事が出来ます。

福岡から来た僕の親族と、嫁の関東の親族
良い意味で、空気感が分かりやすいくらい違いました。

式が始まります。
庭参進からの本殿での式です。
大雨続きだったのが嘘のように晴れ上がってくれた御蔭で
庭では、かがり火が綺麗に焚かれます。
何を隠そう、夜の式にしたかったのは篝火参進の為なのです!!

神社での神前式は出た事は無く
段取りもあまり理解できないまま、それでも震える程の緊張感も無く
そわそわした気分で始まりました。

本殿の中は、暑いようなひんやりとしたような
張りつめているのか、緩んでいるのか
僕ら以外に誰かいるのか、いないのか
まったく感じる事の出来ない無垢な空間でした。
それでも集中力だけは研ぎすまされていたような気がします。

式の段取りはどんどん進んでいきます。
みんなの前で結婚の誓いの文を読み上げるという誓紙奏上。
要は、チャペルでの"貴方は事人を...はい、誓います"という下りを
全部読み上げるというものです。

まあ、緊張で声が裏返るんじゃないかとか
3ケタくらいかむんじゃないかとか
色々思いましたが、ぱしっと言う事が出来ました。
会場の緊張感が増したのも分かりました。

式に参列して頂いた方達は
みんな、サシで飲める人たちだと勝手に思っています。
おかげさまで大船に乗る事が出来たのでしょう。

無事に杯も飲み干し
本殿前で記念写真も撮り終え
嫁は少し派手な衣装に着替えて、披露宴へと進んでいきます。
どうやら、やっと緊張してきたようです。

(2)に続く。

August 9, 2012

【日常】報告

かなりのご無沙汰でございます。
一つ前は、クーリングオフしたsoftbank4Gの回線をつかったポストでした。
それから、かなり経ちました。

一つご報告。
なんにゃんぬあんと
こんな風来坊の、その日暮らしの、一匹狼の俺が
ソウルメイトを得る事が出来ました。
つまりマリード(結婚)という事です。

お世話になった色々な方に、直接ご報告させて頂くまでは
この場に書くのは自粛しておりました。
多くの方が喜んでくれて、感動しました。

ご存知の通り、僕は訳の分からない事を、したり言ったりします。
僕自身、1年前は結婚する相手のイメージが全く出来ていませんでしたし
そもそも近い将来訪れないと決めつけていたので
考えてもいませんでした。

変わった人もいるもんだなあと
感謝しつつ毎日楽しくやらせてもらっております。

これからも、よろPQ death。

May 31, 2012

【日常】引っ越し

かなりご無沙汰にしていました。
この間には色々と自分の生活が変わる出来事があり
webへのアクセスがやっとこさ回復したんドエス。

まず、大きなところではGWを利用して引っ越ししました。
前よりもかなり生活空間が大きくなり
2人で暮らすにしても十分だとおもっています。

ちなみに場所は、東京市内の某自然豊かな杉並区です。

申し訳程度の自然しかないところで
長いこと暮らしていた僕は、新生活が始まったことで
リズムや価値観に大きな変化が出てきています。

まず、都会的な大量消費がなくなりつつあります。
引っ越しの時に感じた、無駄なものの多い事多い事。。
ぼかぼか捨ててるときは、我ながら情けなくなりました。

次に、iPodとかのウォークマン的なデバイスで
音楽を聴く事が極端に減りました。
これは走っているときもです。
単純に自然の音が違和感、ストレスなく入ってきて
イヤホンをつけて何かを防いでいるような
状態のほうが違和感になってきたからだと。
もちろん音楽はタコができるくらい聞いていますが。

日本人のベースの考え方にある
八百万の神、ちょっと違うかもしれないけどアニミズム。

モノにあふれると、モノや人や自然現象に対する
へりくだる態度が減ってしまいます。
語弊を恐れずに書くと
アニミズムでは津波も地震にも神が宿っています。
神様にはへりくだるものですよね。
馬鹿でもわかります。

自然災害に対する復興だなんだと口先でいう前に
しっかりこういった考えを中心に据えて行動を考えていきたいですね。

何の話かというと
田舎の土の上にたつお家は
とてもいいですよーってことです。

April 30, 2012

【思考】街づくり

最近、引っ越しする事になって、近いうちに新生活が始まる事で
色々と住環境や生活に必要なものを考える機会が多くなってきました。

そのせいかどうかは知りませんが
東京という街の違和感に疑問を大量に持ってしまいました。
生活そのものの質を考えるにはちょうどいいテーマだと。

新しく気がついたというよりは
元々思っていた事が体系化されたという方が正しいです。

もともと僕は、再開発とか都市計画という言葉が苦手です。
というよりも、そういう言葉を発する人間を信じません。
そんな言葉を額面通り信じていたら
ゼネコンの植民地のような街が出来上がってしまいそうだからです。

東京だけに限らず
僕の地元の福岡も、全く要らないであろう
高層マンションが海沿いにバカバカ達まくっています。
人口は多少増えてはいますが。。

バブルがはじけた不動産屋が外人相手に
たてているだけのような気がして憤りを感じています。
僕の見慣れた風景が無くなってしまいました。。
これは植民地ですね。。

別にゼネコンやらディベロッパーが嫌いな分けでもないんです。
トンネルを掘ったり、橋をかけたりと
本当に必要なモノも作ってもらっています。

一部のプロが訳の分からない仕事をしても
今のところ生きていける環境も良くないですし
その環境を維持しようとして余計な事をし続ける
いたちごっこになっているに過ぎないのではと。。

日本はアメリカとかアフリカみたいに大きな国土を持ってないので
もっと郊外のディベロップに力を入れてほしいんです。
もちろん積み木みたいな新興住宅をつくるんじゃなくて
人がそれぞれの生活に必要、かつ違和感のない家を
プロとして開発してもらいたいと思います。

もう都市部をこれ以上いじめるな!!
といいたいのです。

April 11, 2012

【出掛】長崎 福岡 2nd

2日目は、中学校以来の坂の町長崎へ。
朝を遅く起きて、お昼前に家を出発しました。

地元近くの鞍手というところに高速のICが出来たので
そこから高速に乗ろうと思ったのですが
突貫工事のできたてほやほやの為、かなり周りを彷徨う事に。

それでも無事高速に乗れ、お昼は佐賀の金立PAで。
以外とスタバとか、お土産屋とか、ドッグランとかあり
かなりの充実ぶりでした。

また、桜満開シーズンのため
高速のPAにもかかわらず、レジャーシートを引いて
弁当を食べているおばちゃんも多数。

嬉野や雲仙の山々の、数キロレベルのトンネルを抜けると
急に港町長崎が現れます。

幕府に許された唯一の貿易港。
山をいくつも越えてやっとたどり着く辺境。
日常ではあまり感じれないプレミアム感が襲います。


長崎は、言わずと知れた坂の町
レトロな町並みとキリスト建築の多く残る街です。
原爆にも耐えた、国宝大浦天主堂や
グラバー園の坂の上から眺める街並は絵画そのものです。




モノに囲まれた生活に慣れると
何も知らないくせに知っているような、自覚症状の無い悲しい錯覚に陥ります。
ナマのインスピレーションは、それを一瞬でなぎ払い
僕に無知を強烈に教えてくれます。
知的好奇心を刺激する本のように、風景は視線を離させませんでした。

帰りに、大村湾PAで休憩をしました。



アルティメットプライベート
他には本当に誰もいません。(売店にはいました。。)

大人になっての京都は、違う見方が出来ると言いますが
大人になっての長崎も、全く違うものとして目に映ります。
小手先じゃない、歴史があるんです。

長いドライブでしたが
今度は2,3日かけて浦上天主堂、聖ミカエル天主堂、軍艦島など
他の長崎も余す事無く堪能したいと思います。

April 10, 2012

【出掛】長崎 福岡1st

一日休みを頂いて better halfと福岡へ帰っていました。
スカイマークのスーパー破格のチケットを手に入れられたおかげか
何か分かりませんが、すごく飛行機の乗り心地が良かったです。

ひとまず1h30minくらいで福岡へ。早い!!!!
新しくなった博多駅の上から博多の街を眺めます。


何とも平らな街だなあと印象です。
東京から戻ってくるといつも思う事ですが、人もビルも少ないです。
少し寂しくも感じますが、人間としては生きやすいのかなあとも合わせて感じます

他にも、屋上には鉄道神社という建物があり 参道もあってかわいらしかったです。


小腹が減ったので駅の中を払拭。
そこに何と地元にほど近い"ぶどうの樹"が! (後で調べたら、東京の丸ビルのなかにも!!!!)

コーヒー一杯のつもりで入ったら ビュッフェでの利用しか出来ないと。。
残念な気持ちで店を後にしようとしたところ
店の人がコーヒー一杯でも良いですよとわがままを聞いてくれました。

しかも、デニッシュやクッキーのサービスまで。
すごくいいお店でした。また行くと思います!!

他にも、東京にあるお店がいっぱいありました。
予約を取る為には2,3ヶ月待たないとイケナイお店もありましたが
九州もんの舌には会わんのか
マスコミと飾りだけの、ただのぼったくりなのか??

ガラガラでした。。。

2,3ヶ月も待つくらいなら
旬な時期に産地の町にいって、とれたてを最小の調味料で食べた方が
うまいと思う僕みたいな人が多いんでしょう。

実家の駅まで博多からガタゴト電車で50min。
とても遠いですが、どんどん田舎になっていくのを見ながら
あっという間に地元駅に到着しました。

実家周りは、陸橋が新しくなっている以外は何にも変わっていません。 
救急病院とコンビニしか建物の無いところに実家はあります。
家族とちょっと話をして 近所の友人達と食事をし床につきました。

April 3, 2012

【英語】A storm like tyhoon hit Tokyo!!

Such a big storm hit Tokyo,
though none of my colleagues left at once.
I don't know why and I could find traditional Japanese attitude.

Sometimes I like this attitude,
but in this case I think we should not do this.

We should leave and tell our family we are safe,
because each family and partner might be worried.

I hope my colleagues is safe.

Life is the most important thing.

April 2, 2012

【日常】331

331は沢山の人にとって
入学や新しい期を迎えたりと
沢山リニューアルをする節目の日です。

僕にとってもこの日は特別な記念日で、色々な節目を意識して
青学の厚木キャンパス跡地を見に行きました。

短い期間ですが、厚木には通学のため住んでいた期間があり
関東の他のエリアに無い親近感(いても違和感の無い)
を感じる事の出来る場所です。

ただ住むのでは、なかなかその親近感は出ません。
学校と、皆との思い出があるからこそ
そう感じるんだと思います。



気になって、昔住んでいた家を眺めにいきました。
家は、所々風化していましたが変わらず同じ場所にありました。

隣に住む大家さんに挨拶をしようと伺ったのですが
もともと体の弱かった大家サンは、治療で娘さんの所に行かれているとのこと。
すごく心配になりました。

そこから、懐かしい道を行く事10分、あの厚キャンへ到着。
道は懐かしいのとは裏腹に、
校舎は跡形も無く、日産の研究室が代りにありました。



敷地には有刺鉄線が張り巡らされ
部外者を遮断するセキュリティーが
部外者になった自分に対する寂しさを助長させます。



車から降り、周りを眺めると
周辺の環境は全く当時のままと同じです。
それにすごく救われました。

いつも思っていた事ですが。
青山キャンパスよりも、厚木の方が100倍以上
居心地が良かったです。

10人中10人がそう言っています。
それが何を意味するかが、とても大事になってくる気がしています。

その後は、近くの飯やで腹ごしらえして
棚ぼた温泉でチルして帰宅。

大切な時間を大切な人と過ごせてよかったです。
だから意味のある日に、この過ごし方を選びました。

March 22, 2012

【読書】トトロの住む家


宮崎駿さんの著書
トトロの住む家を読みました。

宮崎さんが中央線沿線
杉並や吉祥寺を練り歩き、懐かしい家や風景を見つけては
立ち寄って話を聞くというエッセイです。

所々に、宮崎さんのスケッチが入っていて
それだけでも、気持ちのこもった温かさを感じる事ができます。

同時に、執筆当時(バブル全盛)のある種のカルト的ブームのような
利便性を追求し、人間らしい豊かさを失い
変わりゆく東京に対して苦言ともとれる意見を書いてあります。

区画が狭くなり、分譲マンションが立ち並び
懐かしさが無くなってきた東京で
豊かさを再確認するため、かつての郊外である
杉並、三鷹を散策し見つけては感動していくというものです。

宮崎さんは、白い家や分譲には全く興味がありません。

中を見なくても、全て想像ができると。
それより草木がのびっぱなしでも造作のある家にすごく興味がわき
どんな人が住んでらっしゃるのかすごく気になると。

東京の杉並で古くからの区画を守り
売って大きな分譲マンションを建てた方が儲かるのに
頑に住んでらっしゃる人はどういう人なのか。

そういう家には賢くて立派な方が住んでるに違いないと
勝手に想像してはニヤニヤしていたのでしょう。

豊かさという意味では
東京はまったく逆走していると感じます。
不便さが無い分、居心地の良さや安心感は比例して無くなっていく。
大切な感覚もどんどん失っている事にも気がつきました。

不便の中には人間の大切な感覚を学ばせるものがある。
昔鎌倉に行った時の
家を守り、こだわって生活されている人たちを見て
全身に感覚がビンビンに澄み渡っていく気持ちのいい事。

そして読み終えた今日の帰り道
いつもと同じはずの景観が違って見えました。
東京にもまだまだ残っていますね。

安心した暮らしがしたい。
ただそれだけです。

【思考】怖い事について

先日、僕の一番身近な人が、こんな事を言っていました。
"一番怖いと思う事が、一番興味がある。"

ズーンと僕の心に響き渡り
人生思い返すと、確かにその通りでした。

部活の試合、ちょっとした色恋沙汰
試験、ダンスショーケース、旅、この業界へのチャレンジ、入社
スーパーバイザー、ect

やってみると、妙な藻感にとりつかれ
はじめのうちは、ミスや失敗も多いのですが
だんだん、それが減ってきて
それが成長につながるのかなあと。

自分の周りで、ハードルの高い事に挑戦している人がいたら
それは間違いなく、突拍子も無くやっている訳ではなくて
一つ一つ階段を牛歩で登った結果だと思います。
堅実に、現実を見据えて
今出来る事を一つずつクリアしていった結果だと。

そうやっている、先輩や友人にたいして尊敬し
僕の見えていない、部分を質問したいです。

"一番怖いと思う事が、一番興味がある。"
同時に、この言葉は
頭が良くて、本来行動力のある人への言葉であると思います。
あと優しさを持っている人ね。

頭が良くないと、怖いと言う意味合いが違ってくるし
行動力も、その投資が人生を豊かにするものでないと
一生傷の消えない、若気の至りのような
浅はかで取り返しのつかない事にもなると。

はじめのモチベーションは浅いものかもしれませんが
結果としてそれでは続かないという事に
30手前の僕はやっと先生達の言っていた意味がわかりました。

"不純な動機で下心をもって動いてはいかんよ"
ということでしょうね。



嗚呼。。
勉強しよう。

March 20, 2012

【日常】小春日和休日

すごく暖かくなってきました。
奇跡の周中休日を満喫してやろうと
珍しく計画を練って動きました。

まず、渋谷のシティーライブラリにて
民族楽器のCDを借りようと一番大きな
原宿の中央図書館へ。

ハチ公バスに乗って代々木公園へ向かいそこから歩きます。
代々木公園はすでに春を装っており
四季をビジュアル、香り、温度、湿度、人の装いetcから感じる事が出来ました。

多分、東京に代々木公園が無かったら
とっくに飽きてどっか行ってたと思うくらい
素敵な公園で、僕にとっての心のオアシスなのです。

東郷神社の裏にその図書館はあります。
。。しかしザンナいことに、CDは渋谷か笹塚にしかないという無駄足を。
とはいえきたからにはと館内を払拭します。
ブームのインド料理の本とスパイスの本
ランニングの本をレンドしてでます。

最近の図書館はすごいです。
ツタヤ以上にすごいです。
借りる手続きを無人で行えます。
スキャン機みたいな装置に、本とカードをてらすだけでオゲ。

次に3月末で終わってしまう
高円寺のbombayJuiceへ。
中では閉店セールをやっていました。

品物とデザイン、店長さんのお人柄
どれをとっても惜しまれます。
カナト画伯のteeも売り場においてありました。
スゲエです。

一度帰宅して、腹ごしらえをしてsaloonへ。
何か計画を立てるとストイックにきびきび時間への
執着が強まっていきます。
これはこれですごく良い事。

今日はホリデーアフタヌーンという事で
実にお客としてはお財布に優しく音を楽しめます。
しかもDJはmoochy。
福岡の宝であると自負します。(東京出身で福岡活動拠点)

終止、ばきばきのスピリチュアルなアフリカンサウンド。
サムハウ、ラムのストレートをころがしたくなりました。

帰宅して今に至る訳です。
充実しました。

March 17, 2012

【日常】鉄観音チャーハン



チャーハン作り過ぎですが
今度は鉄観音の茶葉を入れたチャーハンを作りました。

台湾の猫空に行った時に
そこのレストランで食べたチャーハンが
この鉄観音チャーハンでした。

茶葉の栄養は実は高いらしく
油と一緒にとる事で、その効能は上がるとの事。

味は少し大人の味になります。
ただ単に茶葉を野菜と一緒にいためるという
行程が入るだけの簡単なレシピでgozer。

【日常】チャーハン



ただのチャーハンではありません。
レタスチャーハンです。

たいした違いは無いし、ぱらぱらがうまいはずのチャーハンに
ミズモノを入れるなんてって御思いでしょうが
コレが以外と独立していい感じになります。

必要なものは
米(ジャポニカ7:インディカ3)
ニンニク
たまねぎ

中華だし

ブラックペッパー
たまご

豚はいためたら別の容器に移して
最後に振りかけてmixingします。
しっかり胡椒をしておかないと
豚臭くてたいへんなことになります。

ありがとう。ごちそうさま。

March 13, 2012

【仕事】キャリア

キャリアってあまり外来語わからないのですが
勝手にそうじゃないかなって思っている限りでは
どういう事をして今ココまできているのかという
仕事における自分の歴史の事だと思います。

また、どこで何をしたか
という事も大事になってくるんじゃないでしょうか??

この間、シンガポールで働いている専門学校時代の同級生と
skypeで熱烈トークしました。

外国で働いている彼の意見は
すごく客観的で、アグレッシブで
見識も経験も深く、ただ単に
日本でCGを作っている僕からすると
苦労も多かろうと思う反面、うらやましくもあります。

もう自分のキャリアの事について
人世代前の人たちに相談しても実りのある回答は
なかなか得るのは難しいでしょう。

年功序列、障害1企業が当たり前の時代の人たちです。
リスクヘッジもクソもほとんどなかったでしょう。

その就業制度ありきの制度も含め
世の中は本当に大きく変わる気がします。

ためらえているうちは、可能性がある。
すごく強くこの言葉は僕を震えさせました。

つまりキャリアはhow to surviveを
どのように身につけていくかという
強い精神力でのことなのではないかと思います。

がんばって楽しくサバイバルしていきます。

March 10, 2012

【読書】秘境国



久しぶりに読書です。
読書と言っても小説ではなく写真集なんです。
"秘境国"というタイトルで
世界中の自然のままの秘境を
秘境である歴史や事情、理由を添えて紹介してあります。

よくある、観光旅行を臭わす鬱陶しい作りではなく
環境的に人が立ち入るのに生死の危険が伴う国
植民地時代の名残や、奴隷の歴史
ダイヤモンドを巡る争いなどの事情を網羅してあって
容易に安い装備と心構えで立ち入れる場所ばかりではないです。

かなりストイックな写真集だと思います。
実際に掲載されている内容の90%以上は知りませんでした。

人工物が無い=決して居心地が言い訳ではない
と思います。
水も無ければ、食べ物も薬も無い
そういった環境が人間を寄せ付けず
今、秘境と呼ばれているのかもしれません。

全て魅力的な場所だったのですが
全てに行ってみたいという行動的好奇心は芽生えずに
景観写真集では珍しく知的満足を得れる作品でした。

March 7, 2012

【思考】イースター島について

旅行で行きたいなーって思っていた島
イースター島です。
日本から世界で一番遠い場所です。(飛行機の都合)

行きたいなあと、思いを馳せていたのですが
この島の重い歴史を知って
ちょっと気持ちが揺らいでしまいました。

イースター島は本来自然の多い孤島でした。
部族ごとに、文化の象徴としてモアイを建立します。
人口が増え、森林を伐採し畑を作りました。
森はなくなり、水も汚くなり
やがて限りある資源の取り合いになります。

そして滅びます。

不思議と、現代の僕らと
重ねる事が出来る気がします。

資本主義というお金を絶対的に信じ込む文化によって縛られ
それらの象徴のように大きなビルを建て地面を取り合いました。

資本主義の大きなところで言うと
今さらですが、土地や証券の資産価値は貨幣経済によって支えられていて、
金銭的価値をともなうからこそ、売買が成立しています。
つまり根底にあるのは、お金の価値を認める信仰(宗教じみている)

自分の生活や人生で、お金とどう関わってきたかという
比重が大きいほど、信仰心はつよいのかなあ。

お金で資源が買える。
資源はいくらでもある。でもなくなる。
取り合いになる。
結局、食いつぶして滅びる。

イースター島にモアイを見に行った人は
不思議だねー、どうやって何の為に作ったんだろうね
と思うでしょう。

もしかしたら、遠い未来
こんなコンクリの固まり誰が何の為に作ったんだろうねと
物珍しそうに眺めている
幸せそうな人たちがいるかもしれないと思いました。

無駄使いする為のお金なら
それを稼ぐ事を放棄しても誰も何も言いませんよ。
自分の価値観を信じれない人ほど無駄使いをしますよね。
借金なんてもってのほか。
それを国で考えた場合日本とは。。

資源は必要な分だけでいいので
気持ち豊かに暮らしたいものですね。

March 5, 2012

【思考】リズム

僕の日常が、大きく良い方に動いています。
生活にハリが出、(僕にとっては)ちょっと大きめの
目標も出来て、なかなか毎日楽しく生活しています。

リズムは人を陽気にすると
意外にも僕の尊敬する人からこんな言葉が出てきて
理屈は抜きに、自分の感覚に自信を持ちました。

リズムと似たようなものでバイブというものがあります。
振動、波長というものだと思っています。
リズムの中にある、熱いものって感じ?

リズムは、生活と見識を明るくして
リズムに身をゆだねる事で
メディテーションに似た安らぎを得る事ができます。

自分の生活がそんな感じに
居心地よく暖かいものになりつつある
そういった感覚です。

この充実を与えてくれている人や、環境に
一段と感謝しながら
これからも邁進していきたいと思います。

January 17, 2012

【思考】才能について

http://blog.tatsuru.com/2010/12/26_1356.php
を読んで思った事を書きます。

才能は英語でgiftedとかって神からの贈り物って意味を
もって表されます。
リンク先には、その才能は自分の為に使うんじゃなく
人や世の中の為に使う事で才能の枯渇を抑える事が出来て、
生きるという使命から来る、責任からの負責感が緩和されると
そしてネクストレベルに行く、という様な事が書いてあります。

別に共産的な話をしようなんて気は一切なく
僕のような馬鹿にでも理解できるように
僕のような平々凡々な日常にステージを
置き換えて理解しようと努めたのがこの文章です。

まず誰もが持ち得る、人間の本質的な才能ってなんだろうって考えた時に
真っ先に思い立ったのが、優しさであったり、思いやりであったり
人を愛したりという、人間らしい部分が思い立ちました。

子供の時、親や周辺に愛されて育った人は
よりその才能があるのではと勝手に想像しています。

老人に電車で席を譲る、苦しそうな人を助ける
分からない事は教え時にはきつくしかる。

そういった献身的な行動が
はじめは煩わしい(自分が本来できる事じゃないと思っているため)
と感じるかもしれませんが、
その事が、実は己を救っている。

それができなのを、人のせい、都会や田舎といった環境のせい
にしても結局自分に帰ってくるというように解釈しました。

シンプルに考えるとただただ当たり前に感じる事なのですが
自分の才能となると、自分が可愛いせいで
枯渇し見えなくなっているのではないのでしょうか?

自分の才能って何だろうって考える時
他におすそわけしたいもの。
それが才能なんじゃないでしょうか?

僕の周りには遊びの天才が沢山いるので
毎日楽しく過ごす事が出来ています。