February 24, 2013

【出掛】タンザニア旅行記 10/10

この旅も遂に終わりを迎えようとしてます。
色々な事がありましたが、後は飛行機に乗って帰るだけかと
寂しく思っていると、お釈迦様はそんなに簡単に旅を終わらせてくれませんでした。

昨日、うまいうまいと一気食いしてしまったビリヤニが
ハラを見事に打ち砕いてくれました。
ぐったりしていても、飛行機は行ってしまうので
何年も前の旅から一度も使う事の無かった正露丸を飲んで
渋滞の無い事を祈りつつタクシーへ。

案の定渋滞。
が、無事に正露丸が効いたのか空港につくまでは
催さずにすみました。
街と空港までの距離感が分からないので不安になります。
最悪来たら、飛び降り30秒で達者になれるのですが。


1週間前にトラブった経験があるので
さっさと便を確認(リコンファームになるのか)し
荷物を預けて土産屋にいって暇つぶしを。
何故か、日本の税関では大丈夫だったライター類を全て没収。。

ンゴロンゴロでも買ったのですが
気に入ったアフリカンミュージックがあったのでCDを購入。
当然のように、変更になった搭乗ゲートをくぐり
タンザニアを後にします。


こんな曲とか

鍛えられたのかどうかは分かりませんが
帰りの飛行機の乗り心地の良い事良い事:D
久しぶりの文明の固まりに感動を覚えてしまいました。
いつでも、冷たい水と暖かいお茶が飲める。
当たり前の事が当たり前に行えない環境。

飴と鞭??
色々と価値観がこんがらがりますが
動物達や見渡す限りの緑の海原を思い出すと
この便利さを追求していくと人間は滅びるなと
本能的に自覚する事だけは出来ました。
どちらが飴??

大昔の哲学者達は
禁欲主義や克己的な考えを何かに置き換えて
おどけている僕たちにも分かる別のものに例えて
教えてくれる本が沢山あります。

それを読まずとも
ココにくれば、必然的に今何をすべきか
何の為に生きるべきか、何があれば生きていけるか
それが本能に刻まれる気がします。

嫁さんはこの文を書いている現在
手塚治虫のブッダを読み始める次第です。

人間はリズム(ビート)があり、一人じゃなければ
生きていけるのでしょう。
助け合い、笑い合えればという意味です。

飛行機はカタールへ到着します。
砂漠の夕方でした。
太陽が地球を燃やしたのではと思うような光景です。
東京への便は夜中の1:35分
時間が有り余っているので、アライバルを取ってドーハの街へとくり出します。

何の前情報も無くひとまず
現地人らしくない現地の人の運転するタクシーで街中まで移動します。
ショッピングモールにつきました。



そこには東京を大幅に上回る大都会が無機質な出で立ちで現れました。
アフリカで感じた生命力とはかけ離れた世界。


カタールは言うまでもなく石油国です。
資源はそれ以外にあまり無く、野菜はほとんどが外国からの輸入品。
電気代、学費、医療費全て無料。
ショッピングモールの前に止まるタクシーはワーゲン。

カタール国籍を保有するものは、大学卒業後に無条件に土地を借用し
後に自分のものになる。
等々
理由の理解できない福祉。


世界中のブランドものを買いあさる宗教衣装を身にまとう現地人に
少々恐々としてしまいました。

アメリカもイギリスもコレが欲しくてタマライのか
その先進の暮らしが、石油が出るというだけでココにあります。
お店で働いてる人たちはほぼ完全に外国人です。
ショッピングモールから空港に戻る時に利用させてもらった
タクシーの運転手はバングラディッシュから半年前に来たと。

石油の力、資源の力を目の当たりにした僕は
お金の為に働く事がとても脆いものに思えてきて
所詮こういう事か。。的ななにか無常に感じてきました。

カタールは石油によって、外資の投資の的にされ
数年という短時間でココまでふくれあがったのですから。
外資投資は過剰になるとはじけますが
ココの場合は石油が切れると同時にそのビッグバンが訪れるでしょうから
はじけた経験のある僕らとしては、この投資自体に空しくなってしまいました。

アフリカ帰りのビンビンに研ぎすまされた状態なので
余計にそのように感じてしまうのでしょう。


ちらちらっと買い物をして遂に岐路へ。
上空から見ると、電灯がラインになるほど狭い間隔に配置されているドーハに
目を眩ませながら、カタールで下りてよかったと胸を一杯に。

長崎の五島列島が見えてきました。
阿蘇も四国も富士も見えてきました。
成田は雪が降っていました。

東京の街は真っ暗に感じました。
電気を節約しているのは知っていますが、数年前の東京を知っているだけに
一度膨れたものが、萎んでいるような気がして
ドーハを思い出し、また切なさがこみ上げます。
それと同時にアフリカを思い出し熱くなります。

先進国とは必要以上にエネルギーに頼らないという意味で
アフリカなのではないのかと。
見た事無い夜空と漆黒の闇は
感覚とリズムを正常にし、人間が生き物らしく自律する。

この旅で一番嬉しいのは
家族と一緒に、感じれる事が出来るようになった事です。


【出掛】タンザニア旅行記 9/10


遂に残すところ2日となりました。
昨日到着したザンジバルをそうそうに立ち去ります。
なので、世界遺産でもあるストーンタウンを観光する事に。

昨日の分の投稿でも書きましたが
もともと、アラビア商人の奴隷貿易の中心として栄えたザンジバル
スレイブマーケット跡地というモニュメントが
市内の中心に位置しています。

何となくの場所は分かるのですが
急な夕立と、ものすごい量の人とで
ルートミスは防ぎたいシチュエーションだった為に
道選びは慎重にスレイブマーケットまで向かいました。



スレイブマーケットには4階建て位の建物で
島の人間が奴隷としてつながれていたと思われる地下室と
ぼろぼろになったオルガン
上の階はカフェが隣接するゲストハウスになっていました。
何か特別な夜になりそうなゲストハウスですね。



地下室は、熱帯気候のザンジバルの厳しさを更に助長するように
蒸し返すような熱気と、漆黒の闇がありました。
何人かはこの場でなくなったのではと思うと複雑な気分になります。

この後、この建物の敷地内にある
奴隷達が祈りを捧げたであろう教会へ。



所々ヒビや綻びはありますが、とても立派な厳粛な雰囲気を醸し出す建物でした。
(ポルトガル系の建物の多いのでカトリック系かなと勝手に妄想。。)

昨日のうちに何とか取得したフェリーの時間が近づいてきたので
お茶をしてチョロっと土産でものぞいてフェリー乗り場へ移動します。
ザンジバルはタンザニアですが、もともと違う国に属していた為に
同じタンザニア国内であるにも関わらずイミグレとパスポートチェックがあります。


フェリー乗り場には恐ろしい数の客引きと旅行客でケイオス。
その中で軽く2時間弱待ちます。

フェリーがスタンバイしました。
先に恐ろしい量の乗客がおりてきます。
不安になるほど恐ろしい人が乗り降りをするので無事に席があるのかどうか。
つめれるだけつめて出航する為に沈没する船もあるようで。

それでも何とか席にありつき
自分のケツの位置が各振幅ごとに1Mは上下する波の中
ダルエスサラームにカムバックアゲン。


前日に同じくトリップアドバイザーかなんかで取っていた比較的
フェリー乗り場に近いタンザナイトエグゼクティブスイーツという
ビジネスアッパークラス向けのホテルにとまります。


イスラム系のホテルらしく飲酒は固く禁止されています。

この後は、ティンガティンガアートというタンザニア発祥の
木や綿にタンザニアらしい動物や民族描くアートのオリジンに向かいます。
大渋滞の末無事に到着。



ペンキの匂いの充満する空間に、テンションがアプアプします。
この日は数人のアーティストがいて
一心不乱に画を描いていたり、描いた画を乾かしていたり
自分の画の営業したりしていました。



その中から、家の表札のように、僕らの名前を刻んでもらったものを一点
ハネムーンを意味するスワヒリ語で"FUNGATE"&日付を刻んでもらったものを一点
そのた布にサファリの様子とキリマンジャロが描いてあるものを一点
を購入。

記念の刻み入れはとても良い思い出になりました。
この世に2つと無いものはすばらしい!!

このあと、もう一つ行きたいところがあったのですが
すでに無くなっていたらしく、残念な肩のままホテルへ。
道に迷うと、すぐに5,6人の現地人に囲まれます。
みんな優しかったですが、市内のあちらこちらに
"優しい人は嘘つきだ"の張り紙が。。。

晩飯食べにいくのが若干面倒しいのでインディアンフードをケータリングする事に。
(ビリヤニとカレーでビリヤニがドボンです)


数分すると、待望の飯が到着。
暇なく感触、次の日ダイアリアという
定番コースを成し遂げました。

つづく

February 14, 2013

【出掛】タンザニア旅行記 8/10


遂にアルーシャを離れる時がやってきました。
次の目的地はアフリカンリゾート"ザンジバル"です。

程よい時間にチェックアウトして
アルーシャ国際空港にむかいます。
キリマンジャロと比べて市内という事もありとても近いです。

ホテルでタクシーを呼んでもらい颯爽と乗り込みます。
ココでミス。
タクシーの値段を直接確認していなかった!!
地球の歩き方なるガイドブックには5000TZS($3.5くらい)と書いてあったのですが
実際に請求されたのは20000TZS。

まいりました。
ツーリスト価格を見事いただかれました。



アルーシャ国際空港からはプロペラヒコーキ
エアエクセルです。
エアエクセルの係のおっちゃん達は陽気で楽しい人たちばっかりでした。

アルーシャ国際空港の中は
土産屋や素敵な珈琲屋など
のんびりした田舎の電車駅と言った雰囲気でした。


珈琲屋

うっかり、荷物の中にミネラルウォーターを入れているのを忘れていて
ごめんけど、とってきてもらっていい??
ってことになったんですが、実際に飛行機の荷物入れまで連れて行ってくれて
そこで払拭させてくれました。

後で、もう一回荷物を確認させてもらおうと思っていってみたら
当然ですがプライバシーポリシーで禁止されていると。
当たり前と言えば当たり前ですが
あのおっちゃん達は基本的にそんなのかまいません。



プロペラ飛行機は8人乗り位の小型で
運転手以外に飛行機会社の関係者はいません。
本当に飛ぶのかなと思いながらも中に乗ると
西洋人みたいな人たちが脂っこい弁当をがつがつ食べていました。



パイロットはとても若い女性で
ちらっと横顔が見えましたが、凄く美人でした。
僕らの前にいる夫婦のおっちゃんの方が
早速その美人のパイロットをカシャカシャしていました。

ザンジバルまでは約1.5時間
しばらくすると海岸線が見えてきました。
とんでもないくらい美しい海です。



また、ザンジバルの街並は中心が
整然と区画整理されたように四方に十字にできています。


飛行機が降り立ちます。
ザンジバルはタンザニア国内のはずなのに
税関がありパスポートを見せなければなりません。
サウジアラビアから来たような飛行機もあり
国際空港だから当然と言えば当然だと。

税関を抜け、お約束のタクシーにぼったくられ
お目当てのセレナインに。
タクのウンちゃんが、セレナは凄く高いから
値段が気に入らない時は、俺の知っているホテルを案内してやるよ。
ついでに明日とかツアー必要だったら案内するよ。
そして、俺は紹介料をがっぽりともらうよ。と言ってくるので
軽くあしらおうとするのですが、かなり執念深かったです。
うかつに日本人というのは禁止です。

セレナインはザンジバルで恐らく一番良い立地のホテルではないかと
思うくらい、島の海岸線の先端に位置し
プライベートビーチとプール、何から何まですべてそろった
リゾートホテルでした。






あまり、リゾート自体に惹かれていない僕でも
まあいいかなと思えるものです。
それでも、すぐに街歩きへ。

実はザンジバルの街はアラブ商人が奴隷貿易をやっていた頃の名残の建物が多く
世界遺産に街自体が登録されているのです。
ある程度、方向に自信のある人でないと迷路のようなストーンタウンに消える事になります。
ガイドはお願いすれば(しなくても)そこらじゅうに
出来そうな人がいるので問題ないかと。


とりあえず、ホテルでマップをもらって
海岸沿いをまっすぐ行きます。

足場は全て木です。




海岸沿いは地元の子供や大人がのんびりしています。
子供達は海に飛び込んで遊び、今にも沈没しそうなヨットで
浜辺に漂流している団体もいました。


まあ人が多い事。観光客がいなくなるエリアが危険なゾーンだと
前の旅で学んだので頃合いを見て引き返す事に。
夜はかなり危険な雰囲気になりそうでした。




この場所で昔、奴隷の売買が行われていたそうです。
今はレストランや土産屋といった観光スポットへ。



石造りが基本です。
ストーンタウンなので当たり前ですが。

途中アラブフォートという建物の中で食事をします。
料理はとてもおいしかったのですが
カードで会計が出来ると言っていたのに急に無理の一点張りを決め込まれ
あっという間に現金が無くなりました。



その日は、ホテルのバーでゆっくりして
アルーシャからの移動の疲れを取りました。

February 11, 2013

【出掛】タンザニア旅行記 7/10


遂にサファリ最終日がやってきました。
ンゴロンゴロクレーター内部には全部で6時間しか
いることができないので朝早くから向かう事に。







朝食をとり、極寒の中テントを積み上げて
クレーター内部への入り口へと向かいます。
朝日はこの世のものではないというくらいの美しさで
またしても果てしなさにどうかなりそうになりました。
(全部に感動して何も知らない、見た事の無いボンクラみたいですね)



とにかく、クレーターを上から見た画です。
池がビンピカに反射して、雲の陰がくっきりと
地面に落ちています。
フィルターとなる大気汚染が少ない証拠でしょうか??



ガーっと駆け下ります。
見た事の無い植物と、アフリカンな景観。
目が離せません。


茶色いシマウマは子供です。
セレンゲティに比べれば、圧倒的に狭いンゴロンゴロですが
広さに疎い我々にすれば、同じように広さに圧倒されてしまいます。
何もかもが圧倒的にでかくて広い!!






動物達は過酷ではありますが
本来このような世界で弱肉強食の食物連鎖の中にいるべきなのだと
あらためて確信します。

ンゴロンゴロのクレーターの内部は
標高はそれほど高くないようで、セレンゲティと同じような
生態系です。







池にはフラミンゴやカバ、草原にはシマウマ、ヌー、サイ
ライオン達がいます。

肉食動物は無駄に殺しはしません。
食べなければならないときのみ殺生します。
その為か、寝ているライオンのそばを草食動物達が
うろうろしているのを良く見かけました。

ンゴロンゴロは人間がサファリカーから降りるのを
休憩スペース以外では禁止しています。
故に完全な動物達の為の空間が出来上がっているのです。



定刻が近づいてきて遂にクレーターを後にする事に。
広大な自然に、アカシアのトンネル、リアルマサイの人たち。
全て非日常的すぎて、何が何だか
頭の中で噛み砕く暇もなく終わってしまいました。



来た道を帰り(途中、マニャラ湖付近でバオバブの木を見せてもらった)
5時間ほどでアルーシャへ。
物売りに、¥500くらいでteeを売りつけられたのも良い思い出です。

アルーシャは恐ろしい程のトラフィックジャム。
渋滞で止まる車の横をローラースケータのパフォーマーがつけてきます。
かなり執念深いです。
知らずに、写真や動画を撮ると
下りる時にチップを請求してくるヨクナイ輩らしいです。
エリックが教えてくれました。

サファリ開始前に取っていたホテルにて
4日ぶりのシャワー&ベッド。
嫁はんは気がついたら小熱射病。ベッドで即寝。


僕も若干ふらふらするので
顔を真水で濡らしてリフレッシュを。
ついでに洗濯も。

今回の度は、一応新婚旅行なので
ホテルにしっかり泊まっています。
なので洗濯がしやすくて助かりました。

そんなこんだでチルしているといきなり電話が!!
アフリカのホテルは本当にいきなりコンタクトを多いです。
今のところ毎日。

電話はツアー会社からで
記念品を渡したいからロビーまで下りてきてくれないか
というものでした。

行ってみると、初日にオフィスにいた少年が。
オージャンボー。と挨拶をしても軽く英語でかわされました。
(それ以上のスワヒリを知らんからしょうがないか)
記念のteeを二枚くれました。アサンテー。



部屋に戻り、頭を2回あらって
早速もらったteeをパジャマにして眠りました。

サファリBIG5と言われる
ライオン、チータ、サイ、バッファロー、ぞうは全部見れました。
時期によってはなかなか見る事ができないそうですが
全部見る事ができました。

アサンテアサンテアサンテアサンテアサンテアサンテアサンテアサンテアサンテ..