December 17, 2012

【出掛】30歳

2012年12月15日を以て
遂に30歳の大台に乗りました。
(無事にノれているか、どうかは別として)

ノリは悪くなったかな??とか思っていると
嫁はんがなんと、温泉に連れて行ってくれる事に。
普段、仕事で急がしいはずなのにありがたいですね。
自分では、年齢の事や誕生日の事なんて
どうでもいいと思っているのですが
祝ってもらう事で、この日の重みが出てきております。

吉祥寺からレンタカーを借りて(そろそろマイカーが欲しいですね。。)
御殿場を目指します。
オールグリーンと言える位、スムーズなトラフィックでした。
あっという間に、箱根仙石原へ。



若干ナーバスな旅館の方に案内されて部屋へつく也すぐ温泉へ。
旅館のお湯は濁っていて、強い硫黄の匂いがします。
その成分の御蔭か、もっていったビールの酔いのせいなのか
寒い日にもかかわらず
その後暫くは、体から熱が冷めませんでした。

貧乏性か、かなり長い時間風呂に使って
成分を吸収した気分。

その後、飯を食べ
どういう訳か、死んだように眠ってしまいました。

強硬な眠りが体をつかんで放さないので
素直に従う事に。

せっかくの誕生日なのに申し訳ないとちょっと思っています。

意外な人物からのありがたい連絡や
フェイスブックアカウントへメッセージを送ってくれた人から
暖かいメールも頂きました。

SNSが主流になってきている今
メールがどういう訳か、とても距離が近いものとして感じれます。
一昔前の、御手紙のようなモノでしょうか???

幸か不幸か、メールに逆価値を持たせる事になった
安いく軽いSNSのつながりから、自ら消えたのだなあと思いを馳せながら
持っていった最後のビールを飲みながらまた休みました。

30になって一日目は当ても無く芦ノ湖へ。
湖近くの岡の上にある、喫茶佐藤という隠れ家的ではなく隠れ家へ。
ナビに正確な案内は出ずに、直接店主に電話してなんとか行けました。

カフェの庭にはたくさんの鳥がやってきます。
モモタロのキジまでも。
マスターとのんびり話ながらいい感じでチルしていると来客が。

まさかの、わいわい系の女性が3人。どうやらマスターと知り合いの様
気がつくと鳥はどこかへ行ってしまい、僕らも潮時かと身を引きます。
マスターは若干分が悪そうにしていましたが
店のクオリティを保つ為には、僕らがそのように振る舞う方が良いと思いました。

カフェから少し行ったところに箱根の旧街道なる坂道が。
芦ノ湖までいきなり下りから始まる登山の様でした。

カルガモが沢山浮いている湖は、船のモーターで不自然に波打ってました。
奇跡的に気候も天気もよく暫くチルしました。
川魚のフライとそばを昼飯で食って御殿場のアウトレットへ。

途中の道中で
大きく富士山が移りました。

九州出身の僕としては
富士山という存在には妙な遠さというプレミアム感がつきまといます。
1時間程で御殿場へ。。

御殿場のアウトレットは恐ろしく、虫酸が走る程混雑していて
駐車場はフル、会場から1K程離れたところにある置き場から
バスで移動するはめになりそうでした。

以前、同じようにバスにていった時に
待ち時間と混雑で腹が冷えて思いっきりオイチチチしてしまったので
今回はというか一生この御殿場アウトレットは控える事に。

大渋滞の末なんとか吉祥寺に戻ってきて
お土産で買った温泉のもとを入れて風呂に入りました。



無事に30になる日を30になる年に縁がった伴侶とともに過ごせた事。
大変忘れがたい大きな思い出になった事を
感謝したいと思います。

December 11, 2012

【日常】facebook退会

Facebook退会しました。
理由は、僕にあわんかったということ。

妙に付き合わされている感じ
メッセージがいる既読になったかわかるようになった。
ツイッターとそんなに変わらいと感じるようになった
本人の意思とは関係なく、見られたくないものを晒す。

ルーツは学内SNSだったようで
そもそもそんな200も300も友人を作るのを想定してなかったのではと思います。

こんな癖のある人当たりのわるい僕でも友達が100人出来きました。
Facebookのなかは 吹けば消えるようなとても軽いものなので
ほっとこうかとも思いましたが
大切な人に対して失礼が出てくる可能性が出てきてしまいました。
なので永遠に消します。
バイナラララバイ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

【日常】地元でのお披露目会

地元での結婚式
自分らのプロデュースで終わった東郷神社での挙式からはや1ヶ月。
地元福岡でのお披露目パーティも終えることが出来ました。

東郷での準備におわれていて、こっちの準備は殆ど母親任せになってしまって
申し訳ないと思う反面言葉にならないくらいの感謝をしています。

東郷と同様にきてくれた地元の友達にも大きな感謝をしています。
親父との縁が太かった岡垣のぶどうの木で行いました。
当然ですが、式場の人はみな親切で料理もとても美味しくて最高でした。
お披露目会だと聞いていたはずが、ちょっっとした披露宴です。

夫婦鯛の舟盛り、霜降りのステーキ、河豚の刺身。
高級料理ばかり食べすぎてこの間の健康診断では10kも太っていました。。

最後に母が、まだ父が生きていた時から続けていた腹話術で激励の言葉をくれました。

父が死んで、それから父が何度か夢に出てきて
朝の目覚めの度に死んだのが信じられない位の存在感を残していきました。

母の僕ら新しい家族に対しての激励は父からの言葉でもあります。
それは、常に笑顔の絶えない家庭をつくれというものでした。
笑顔は単純でシンプルです。

俺のバカさは親が一番知っているのでしょう。
どんだけ講釈タレになってもバカなんですね。
そんなバカは、高望みをせずシンプルに誰でもできる笑顔を忘れずくらせ。
そしたら、己の父母が作ったような似た者夫婦になれるという意味でしょうか??  

前日の父の法事から妻の両親にも福岡INしてもらっていた妻の
両親は一足先に東京に戻られました。
のんびりされたなら幸いです。

【出掛】屋久島(3)

屋久島最終日。あっという間というか、
そもそも強行だったというか、気がついたら帰る時になっていました。





フェリーの発車時刻まで時間があるので、あたりをぶらぶらします。
到着時と違う乗り場なのでバスで乗り場まで移動します。

途中、よく話しかけてくるおばあちゃんが乗ってきました。
現地の人とのコミュニケーションは空気感が異なり得るものがとても多いいです。

港までの道の途中に屋久島空港があります。
そこから可哀想な婦人と子供が2人乗ってきました。
彼らは宿からの送迎バスが来ないことに腹を立てて、電話で他にもホテルはあるんだとか、田舎はのんびりしていいかげんだとか罵倒音頭でした。

こういう時の東京弁はかなりきつい。。
ささってえぐり取られるくらい冷たいものがあります。
方言の歴史として、ユーモアを挟まない言語の成り立ちだからでしょうか??
其の間子供らはずっとゲーム。。子を持つ親の器でない感じです。
反面教師にしようと思います。
弁当が貰えるとの事で、フェリー乗り場から1Kくらい離れた店まで
歩いて弁当を受け取りにいったり、お土産を買いまくったり、実に楽しい旅でした。
鹿児島市内では幕末の偉人達を訪れて、さつま揚げを食べて東京へ。
何ともいえない監獄の中に戻される感じです。。
それほど、屋久島の自然は
かつて見た事がないほど大きく潤っていました。
凄く感動しましたが
スケジュールに余裕が無かった事が唯一悔やまれます。
また行けば良い事;)

【出掛】屋久島(2)

奇跡の4時起床で準備をして縄文杉に向かいます。
準備ができた頃には、民宿の前にガイドさんが来てくれていました。

屋久島をとても愛す人で、たくさん興味深い内容の話をしてくれました。記憶しようとしましたが、 細かいところは忘れてしまってこのポストを書きながら思い出せればと。

流石の4時起きはハードコアすぎたのか
登山口に行く車の中では爆睡してしまいました。
途中の2組のカポーが今日の登山の一緒に登るメンバーとして乗ってきた以外は全く記憶がないです。
登山口は おびただしい数の人でした。
ゴミや人が増えることでの環境汚染を真っ先に考えてしまうほど多かったです。

その心配は、ストイックなガイドさん達や、わざわざ屋久島で登山をしようとやってきた人たち共通認識だったようで、登山者はすごく緊張感がありました。
富士山のように我らがオアシスがなってんsならないのです。
登山口までは一般車は入れないようにする徹底ぶりでした。

登山が始まるとすぐに僕はかつての記憶を凌駕する大自然を目の当たりにしました。
倒木ご何年も立っている杉の上に着床するシダ植物や、湿原気候で生息する食虫植物の群、太陽の方へ光合成しようと必死に枝を伸ばそうとする木々。
瞬間的に1人になれるならなりたい、それで同化するほど瞑想したい欲求にかられます。

トロッコ道が終わると、本格的な登山道に入ります。
登山道の入り口にはトイレと湧き水がありました。
トイレは消毒を使わずに細菌で分解する様で
臭いは卒倒するほどきつかったですが
本来こういうものだと精神的に理解するとなんてことなくなりました。

湧き水は信じられないくらい澄んだ味でした。
屋久島の水はミネラル分が限りなくゼロに近い軟水で
雑味や腐敗進行もとても遅いそうです。
実際にこの水で飲む焼酎は他の追従を許さないうまさでした。
屋久島は 火山でできた岩で、本来土が滞留できる地盤ではなかったそうで
そのため栄養分の多い土で育った杉の年輪はとても目が細かいそうです。
それが屋久杉の特徴だと言われています。
要は栄養が少ないから育ちが遅いというわけです。

本格的な登山道を登るとまずやってきたのがウィルソン株。
名前の由来や株の中から見上げるとハートに見えるということ以外は記憶に無いです。
いわゆるカポーが楽しむところですね。
株の中にとても綺麗な水たまりがあったのですが、
ガイドさんは飲んではいけないとのこと。
登山道以降トイレがないために
野で用を足す人がいるため水質汚染が少しあるとのことでした。







すでにあたりは、震え上がるほどの自然にかこまれています。
縄文杉までの道中、ランドマーク的にいくつか杉をピックアップしていましたが、
すでにそれらが目立てないほどの大自然です。
もっというと縄文杉まで色褪せるほどの、サラウンディングスですよ。
縄文杉の前で写真を撮りましたが、これは無事に登頂できたという意味合いが強いかもしれません。

下山はあまり記憶に無いです。
見納めかもしれない、夫婦杉に多めにご利益をもらっていった事くらいしか記憶に無いです。

ガイドさんは最後まで親切に、買い物事情の若干不便な屋久島のスーパーによってくれなした。
一期一会になるかもしれませんが一生恩と顔は忘れることはないと思います。

民宿では宿泊者全員での飯です。
埼玉の工務店が社員旅行で来ていて、屋久島の露呈風呂の星が最高なことや
戦時中の特攻隊が失敗して屋久島沖に墜落した時に
ウミガメの卵を食べて飢えをしのいでいたことを聞きました。
ウミガメの永田出身の民宿の笑顔の素敵なおばちゃんも頷いていました。
しかし何でも明るく話してくれます。
家族の不幸や、ドロドロしたものもすべて。

色々スーパーで買ったものがもったいないのですが、
酒も入りあまりの睡魔にまけてしまいました。
もちろん開封したものはすべて食べましたが。

【出掛】屋久島(1)

ずいぶん前のことになりますが、屋久島に行ってきました。
いわるゆ、自然世界遺産というものです。

昔の記録をたどるとどうやら、2年前くらいから島へ行くことを熱望していたようです。
念願かなってついに入島することが出来ました。with たかはしくん

出発の日から朝は五時に起き、羽田から鹿児島へ向かいます。羽田まではモノレールで行ったのですが、おぞましいベンゼンダークグリーンの海と、おびただしい数の再開発予定地を真下に今からここの真逆の未開発の環境に行くんだと胸が踊ります。

羽田から鹿児島空港まではあっという間でした。実家に訪れずに九州に帰ることがなかったにで、何だかさみしい気持ちにもなりました。

鹿児島空港からは、バスで錦江湾は鹿児島港へ。
バスの中では、おそらく福岡から帰ってきたところの女性が2人前に座っていました。
彼女らのノンストップなべシャリが九州の元気でちょっとやかましい風土を感じさせてくれます。

フェリーからは桜島と本土最南端が見えました。
波も低く地下鉄にでも乗っているような気分になります。

2,3時間で屋久島へ。ほんのり雨が降っています。
腹も減ったので事前に予約した民宿へ向かいますが
未開発の島の風景に感動する一方で見たくなかったパチンコ屋の看板も一寸。

民宿のオヤジは九州人の僕でも聞き取るのが困難な程なまってました。
東京生まれのツレのたかはしくんはちょっとした異国感を感じたと思います。
オヤジはの粋な計らいで、タダ飯をいただいてレンタカー屋へ。
個人営業らしく、説明も丁寧で大変助かりました。
一先ず当てもなく島を一周することに。

ウミガメの永田浜を越えると
屋久島の中でも最も未開発(普通の状態では人の住む事が出来ない位の自然のため)の西武林道へ。
屋久島の猿は目を合わせたら、もう終わりとのこと。
途中6,7ひき見た気がします。
次の瞬間視界が開きます。
海です。





東シナ海展望台という、江戸時代まででは日本最南端。
southern most in Japanってやつでがす。
美しかったですね。
潜ることもできるそうですが今回は時間なしなので割愛しました。

温泉や滝色々払拭しながらあっという間に一周です。今思うと2日くらい借りときゃよかったとおもいます。
民宿で飯をいただいて、明日朝4時起床の屋久杉登山に挑みます。

つづく